香典をいくら包むか?
人間は社会生活を営んでいる限り、他人の死と無関係でいることができません。会社で一緒に働いている上司や同僚が、突然亡くなってしまう事もあるでしょうし、彼等の家族も同様です。また、同級生やご近所でも人間同士は繋がっています。これらの人々の中に不幸があった場合、お通夜か告別式に出席する、香典を渡すという慣習が、日本にはあります。慣習自体は日本全国でそれほど変わるものでもないとは思いますが、地域によっていろいろと考え方や状況に違いがあるのは紛れもない事実です。東京に住む私の実父と、今私が同居している義父との違いをご紹介します。
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新聞で誰が亡くなったかをチェックしている
私はこの義父と一緒に、東北地方のとある都市に住んでいます。マスオさんのようなイメージです。義父は毎朝新聞の慶弔広告をチェックして、同級生、元同僚、遠い親戚関係など、知り合いが亡くなっていないかをチェックしています。この時点で全国各地で違いがあります。私の実父は東京ですが、東京の場合は人数が多いこともあり、よっぽどの有名人や著名人でない限り、新聞に慶弔広告を出すことはありませんが、こちらの都市では未だに慶弔広告を出すのが当たり前という風潮があります。義父はこの広告で、誰が亡くなったのかを毎朝チェックし、知り合いが亡くなったという事であれば、すかさず香典を包んで、お通夜、告別式に駆けつけています。義父は同窓会や町内会の幹事をするような人柄で、とても幅広い付き合いがあります。一人で部屋にいますが、いつも電話で話をしていますし、年齢もかなりですが、一人で車を運転して、どこへでも出かけてしまいます。
実父は江戸っ子
実父は東京に住んでいます。三代以上続いている江戸っ子です。ビートたけしのような江戸弁を喋ります。実父は私たちを「金がない」と言いながら育てました。殆どの家庭で言われていたのかもしれませんが、例にもれず、我が家は貧乏でした。実父は退職後もしばらくは働いていましたが、やがて自ら身を引きました。かつては同級会にも積極的に参加していましたが、今では同級生との交流は年賀状のみです。兄弟が兄一人、妹が四人いますが、現在付き合いはありません。かつて勤務していた会社の同僚とも付き合いはありません。唯一、地元の町内会の役員をしている位で、それ以外は全く人づきあいがない、というか、車も売ってしまったので、でかける足がありません。生まれてから東京を出たことがないので、電車に乗ったり、バスに乗ったりと普通に歩けますが、用事がなければ出かけることはありません。いとこの結婚式も出席を断りましたし、この先親戚が亡くなっても、葬式に行くかもわかりません。とにかく、本人が言っていましたが「年金だけで金がないので、人づきあいを減らしている」の言葉からわかるように、人づきあいを段々としなくなり、今に至ります。これは致し方ないことだと思います。
全く違う二人
一緒に住む義理父は、毎日新聞で誰が亡くなったのかをチェックし、誰かが亡くなれば、そのネットワークを使って、連絡する、そして葬式に積極的に参加し香典を渡す、という事を繰り返してます。義理父は一か月に一度以上喪服を着ます。実家の実父は割り切っています。近所付き合いも最低限、親戚付き合いも友人付き合いもしていません。東京人なのでクールです。義理父はかなりの額を香典に使っています。地方公務員出の年金生活者なので、それほど気にもならないのかもしれません。実父は口癖のように今でも「金がない」と言っています。さすがに実息子の私たち夫婦が遊びに行くと、いろいろとよくしてくれますが、それでもやはり日々の生活は、ぎりぎりのお金で暮らしているようです。これから超高齢化社会を迎えるにあたって、人それぞれ付き合い方に違いが出てくると思われます。時代が刻々と変化しているのですから、これは当然だと私は思っています。今の慣習では、会社の同僚の家族などが亡くなった場合にも香典を包みますが、このような慣習も、給料が減っている今の時代にそぐわないと思っている人もいることでしょう。檀家制度をはじめとして、様々な事柄を見直す時期に来ているのかもしれません。
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